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10.THE ROOSTERS
1st  a-GOGO  Basement Tapes
実は、ほぼ同世代……。

 1980年、オレはジョン・コルトレーンのサックスに涙し、桂枝雀の落語に「くく」笑いつつ、仄暗い浪人生活を送っていた。
 そのころ、北九州で「いなたい」R&Rやってるヤツらがいることなど、全く知る由もなかった。

 ROCKはもう卒業したのだと思っていた。そして、再びROCKに戻って来た時にはずいぶん長い年月がたっていた。
 だから、リアルタイムのTHE ROOSTERSをオレは知らない。

 それが今は、アタマのてっぺんから爪先までTHE ROOSTERSの音が染みついている。
 技術に優れているというわけでもなく、強力無比なリズム隊を擁しているというわけでもなく、抜けて歌が上手いというわけでもない。そんな彼らの楽曲と演奏のどこにそれほどの力があるのか。

 恐らく、きっと、彼らの音の魅力はその「危うさ」にある。

 すぐに切れてしまいそうな、どこかで墜ちていきそうな、おっかなびっくりふらふらと綱渡りをしているような、「危うさ」。
 生きてくことの不器用さが、ぶつけるあてのない怒りが、異様なまでのどす黒いテンションで「音」として吐き出されている。
 それでも吐き出しきれなかった多くのモノを抱え込み大江慎也の心は戦線離脱してしまったが、吐き出したモノは「音」として「ROCK」のあるべきひとつの形として残された。

 オレにとって、「吐き出し方」のひとつの手本。だな。    (2005.06.29)


09.HOUND DOG TAYLOR
1971年、デビュー爆弾  2発目の爆弾  ライブの爆弾
こーゆーオッサンと飲みたい。とゆーか、目標!こーゆーオッサン。

 男は56になっていた。
 男の脳天かち割るブギーが、世界に轟き渡るまで40年の時が必要だった。

 巷では、商品としての音楽が日々生産され、消費されてゆき、ショーケースに並んでは消えてゆく。
 そんな中、男は己のやりたい音楽を、スタイルを、愚直なまでに通し続け、明けても暮れてもブギーをブルースを歌い演り続けた。

 男はその膝に、恐らくは男自身どんな場所かも知らなかったであろう日本で作られたビザールなギターを抱き、必要以上に負荷を掛けられたギターアンプは、悲鳴を上げながら夜毎男の唄を奏で続けた。
 男の音楽に嘘はなかった。男の音は、そこらに転がるへなちょこロックを笑い飛ばし、火のついた棒のような音の洪水は聴く者の魂を否応なくシェイクした。

 それでも、男の音楽を商品にしようと思った者はついぞ現れなかった。ある一人の男が現れるまでは。
 男の音を世に出したい。そのためにブルース・イグロアは、レコードレーベルを立ち上げた。

 おかげで、男の音はオレに届いた。

 複雑であればいいわけではない。新奇であればいいわけでもない。
 要は、それが本当に自分の出したい音、出すべき音であるかどうか……。

 世に出たことは男にとって幸運だった。が、たとえ世に出ぬままであっても男は幸福だったのではないか。

 惜しむらくは、世に出てからの男の人生が僅か4年しかなかったこと。
 男は60年の人生で、好きな音楽を演り続け、その最後の4年に僅かばかりの、しかしとてつもなくでかい遺産を残した。

 本名セオドア・ルーズヴェルト・テイラー。手に6本の指を持つ男。

 今、この世界に、唸りを上げている「ハウンド・ドッグ」は何匹残っているのだろう。
 嘘のない本物であり続けることができれば本望だと思う、43歳になったばかりのオレであった。
 (2004.10.09)


08.RANCID
空前絶後の3rd     衰えぬ制作意欲に脱帽の5th
バンドってのは、落ち着かないヤツらが落ち着く最後の場所なのかも知れんなぁ……。

 日頃、感謝の念を直接顕わにしたりすることはないのだが、20以上も歳の離れた連中と音楽やってて、よかったと思うことが多々あったりする。ヤツらと付き合ってなきゃ、RANCIDというバンドのことを知らなかったであろうというのもその一つ。

 PUNKなんてのはすでに終わった音楽だとか、今じゃただのファッションに過ぎんとか。したり顔してベラベラくっちゃべるオヤジがオレの知り合いにもいたりするのだが、そーゆーオヤジは、本人自身が生まれた時から現在に至るまでPUNKじゃなかったというだけの話。
 PUNKは言うなりゃ「心意気」。もっと言うなら「DNA」かもしらん。「権力」やら「偽善」を本能的に嫌悪していて、「折り合いつける」のがどーにも苦手、「金」は欲しいが「金持ち」にゃなれん。周りは利己主義のバカばかりだが、周りからするとこっちの方がバカであり、多勢に無勢、世を拗ねたところで同情もされん。というのがPUNKだったりするのではないか。とすると、PUNKなんてのは終わったりせんのであって、未来永劫どこにでも棲息し続けるのであります。

 実は、外人さんの楽曲を聴く時、英語力のなさも手伝ってオレは歌詞なんてぇものにあまり気を配ってなかったりするのだけれど、何歌ってるかわからんままに、「ええのー」と思った曲の歌詞を、後からつらつら眺めてみると、やっぱり「ええこと」を歌ってはったりするのでして、RANCIDってのはまさにそういう人たちです。
 ヤケクソになって何もかも放り出しちまってるようでありながら、スレスレのところで踏ん張りつつ、緻密に積み上げられていくぶっとい音の束に身を委ねるのは誠に心地がよろしいです。

 もし、あなたが世間から中年と呼ばれる世代に属しているなら、一聴をお薦め致しまする。RANCIDが猥雑な騒音にしか聞こえないなら、あなたはたぶんPUNKではない。「飼い慣らされ」たり、「長い物に巻かれ」たりしても平気だし、「お金儲け」が上手だったり、「出世」したりできるでしょーともさ。
 もし、あなたが若者で、RANCIDを聴いたことがないなら、やはり一聴をお薦め致しまする。ただ、若者の場合は、「若さ」という一時の勢いが本質を覆い隠して、身近にあるものをとにかく丸呑みしちゃうという可能性があるので、キミがPUNKであるかどうかは20年ほど待った方がよいかもしれません。くれぐれも早まって、顔中ピアスだらけにしたり、全身に入れ墨入れたりしないよーにな。     (2004.07.17)


07.FLEETWOOD MAC
1stです  必携のBOXセット  どー見ても危ないシト……
ホワイトブルースの決定版だろーさ。おーそーともさ。

 フリートウッド・マックほど、劇的な変化を遂げたバンドは古今東西見回してもどこにもおらんのではないかと思われる。世間的には、全米で『噂』というアルバムを大ヒットさせたポップグループなのであるのだけれど、世界中のブルース・クレージーにとっては、極めつけのホワイト・ブルース・バンドなのでありまする。

 最近はロック評論なんてものをほとんど読まなくなったのだけれど、ティーンエージャーだった頃は、『ミュージック・ライフ』なんっちゅーグラビア雑誌を読んでいるミーハーを小バカにしつつ、『ロッキン・オン』など愛読しておった。自分でもロック批評など書き散らして、周囲の数少ないロック小僧に回覧したりしておったのが懐かしくもあります。
 その頃は渋谷陽一氏を筆頭に、我が国のロック批評家のお歴々は注目のロックの新譜が出るたびに、「ブルース色を廃し、新たな境地を切り開いて見事である」なんてことをしたり顔に書き散らしていたのであって、それを読んでいるこっちも、「ブルースっちゅーのは、あらゆるロックの基本であるけんども、乗り越えねばならんものであるのであるな」など思って洗脳されておったのでありまする。

 だがしかし、迂闊にも結構な歳になってから気付くのであるけんど、ブルースっちゅーのは、乗り越えたり飛び越えたりするもんではなくて、そこにどっぷり浸かり込んでしまってよいものであったのです。ブルース漬けの毎日を送っておるジャパニーズの中には、「白人のやってるブルースなど、茶番である」と豪語する者も結構いたりするので、ややこしいのであるけれど、それを言い出すと、黄色い顔したジャパニーズがブルース聴いて、「えーがな、これ。たまりまへんなぁ」なんてこと言ってたり、ブルース・ギター奏でてみたりするのも茶番になってしまうのであるから、最近はそーゆー人の言うことは「うっちゃっておく」ことに致しております。
 河内音頭に惚れ込んだカナダ人がいても、「五木の子守歌」聴いて涙するノルウェー人がいてもオレとしては一向に構わないのであります。オレはモンゴロイドのジャパニーズであるけれど、ブルースに全身が反応して、やらずにゃおれんということなのです。それに異議を申し立てるヤツがおるならば、それは誠に偏狭なる精神の持ち主です。要するに、人はそれぞれってことなのよ。

 で、フリートウッド・マックは元々、白人にしてブルースに取り憑かれた者どもが始めたバンドなのでありますが、デビューの頃は「猿まね」の域を突き抜けて、身も心もブルースに捧げきっておったのです。捧げ過ぎたあまりに、ピーター・グリーンはクスリでボロボロになっちゃったし(先年、来日した姿を拝見したけれど、頭のてっぺんから爪先まで全身に極悪な液体が詰まっておるようで、ほとんど廃人のようでありました)、ジェレミー・スペンサーは、新興宗教に走ったそうで、激情ほとばしるエルモア・ジェームズの分身のようなスライド・ギターを炸裂させることは二度と再びありませんのでした。
 その一方で、バンド名の元となったミック・フリートウッドとジョン・マクビーは、自らのバンドを一大ポップグループに転身させて大金持ちになったけれど、器用に立ち回った彼らよりも、ズブズブに沈んでいったギタリスト二人の方により興味を抱くのは、オレがナチュラル・ボーン・ブルース・マンだからなのでありましょー。     (04.07.04) 


06.THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
cult grass stars  Chicken Zombies  Casanova Snake
1st&3rd&5th。やっぱ、1stが一番好きかも?

 最初にミッシェル聴いたのは7年前。当掲示板に出没しておるところのトルチョックくん(当時はオレのクラスのスカタン高校生。今は立派なフリーター予備軍)のお薦めにより、2ndアルバム"High Time"を購入したからでありました。しかし、当時のオレの耳には「世紀末的世界観を垂れ流す、ちょっと気取ったイヤミな音楽」としか聞こえなかったのだよねぇ……。不覚。

 普通、音楽も女も第一印象はすこぶる重要。最初に「イマイチ」と思ったものにトコトンまで惚れ込んで、添いとげるってのはなかなか困難。それが、ミッシェルは、例外中の例外でした。いつの間にやらズボズボズブズブとその深みにはまりこみ、コピーバンドはやるわ、テレキャスばかり何本も買うわ、アベフトシさまと同じギターアンプは買うわ、グレッチは買うわ、ユーコさんはユーコさんで、ウエノさん愛用の冷蔵庫みたいなベースアンプを手に入れるわで、我が家では未だにミッシェル漬けの日々が続いておるのだから、世の中わからんもんです。

 1stアルバム1曲目の『トカゲ』が象徴しているように、彼らのやっていたことはブルースの現代的解釈、発展だったわけで、ブルース・フリークのオレがそこに気がついてりゃ、もっと素直にはまっておった。ブルースは死ぬことなく、クールに今を生きているって感じが沸々するのであります。後期になって音楽的に幅を広げ、ブルース色は希薄になっていったけれど、人間勝手なもんでして、それはそれ。好きになったらどこまでも、後期も結構良かったりするのです。はは。

 惜しむらくは、絶大なる人気を誇るようになる以前、小さなライブハウスで演ってた頃のミッシェルを肌で感じられなかったこと。残念至極であります。
 ただ、メジャーになってからも、本番前の楽屋で、彼らは自らの楽器の弦を、ドラムのヘッドを、自らの手で張り替えておったのよ。人気ロック・バンドなんてーものは、バンド名入りの馬鹿デカいトレーラーを連ねてツアーを回り、何から何まで全てスタッフにお任せだろーと思っていたオレの眼に、そんな彼らの姿は「永遠の少年」のように映ったのでありました。
 彼らは唐突に、あっさりと解散したけれど、ロック・スターになるよりは、生涯バンド・マンであることを望み、選んだのかも知れませぬ。その潔さこそ、ロックってもんだ。そうだろ?     (04.06.12) 


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